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みなさんからのコメント
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2024年01月05日
ヨウ
- メンバー
侑パパさん。こんにちわ。
私は2023年の4月に妻を突然の事故で亡くしてしまいました。私は当時単身赴任中で連絡を受けたのは救急隊員さんからでした。
そこから8ヶ月本当に日々いろんなものとの葛藤でしたのでお気持ちはすごくわかります。私ももう1日早く帰ってたら・・とずっと後悔しています。
私も侑パパさんと一緒で急にガクッと落ちる時やふと思い出して涙が溢れる時が今だにあります。当然フルタイムの仕事をしており、子供も1人いますので感情のコントロールは必要だと思いますが、私は無理にコントロールするのはやめました。自分に甘いかもしれませんが落ちた時はゆっくり休み、泣きたい時は思いっきり泣いてます。そうする事ですこーしだけ楽になり前に進めるようになってきた気がします。
お子様の事も当然大切ですがまずは侑パパさんの心、気持ちをいちばんに考えて下さい。侑パパさんにもし何かあるほうがお子様達にはよっぽど辛くなると思います。 -
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2023年12月15日
うらん
- サポーター
侑パパさん
まだ4ヶ月では、毎日泣いてもいい、辛い時期と思います。落ち着いてしまう事も、現実に向き合わないとならず、辛いですよね…
私は自宅内の事故で娘を亡くしましたが、1年間後悔しない日は、ありませんでした。私が死んだ方が、ずっと良かったです。
毎日、子ども達と娘の話をしたり、絵を描いたりして過ごしました。
お子さん達と、毎日、奥さんの良かった事やエピソードなど、シェアしては、いかがでしょうか。
写真やビデオを観たり、良かった時間、優しくできた思い出の積み重ねの方が、沢山あったと思いますよ。
写真を本にするのも良いと思います。思い出も、いつかは薄れて、忘れてしまいます。今2年過ぎて、声など忘れてしまいました。とても、寂しい事なのですが、すっかり忘れて1日を過ごす日も出てきました。
4ヶ月では、家事も手につかず、仕事も出来る気がしませんでした。
しかも、配偶者を、失くす事が、人が受ける中で、一番ショックが大きい事なのだそうです。
グリーフィンググループに所属する事も良いと思います。3人のお子さんをお仕事しながらですよね、育てていて、本当にすごいと思います、、、
今はたくさん悲しいのが当たり前です。それでも、子ども達が慰めになりますよね。ただ一日、一日を、普通に過ごすだけで、今はすごい事です。奥様も見ていたら、皆が幸せに過ごして欲しいという事だけを願うと思います。
ご自分をあまり責めないようにして身体に気をつけて下さいね。 -
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2023年12月11日
侑パパ
- メンバー
まひみさま
コメントありがとうございます。実際 納骨はまだですが、お墓も建てて、一通りのことを終えて、我に帰ったら、寂しさと自責が押し寄せてきて、しんどくなってきました。一度 LINEの方で検索してみたら、オプチャたくさんあったので、色々と検討してみます。かずさま
よく時間が解決するって、言われることがありますが、実際のところ そこまで簡単なことではないですよね。自分も最後の言葉が病院行く?寝るの?と 少し強めに話したのが、まさか 最後になるとは思わなかったです。もっと 気にしていたら、もう少し優しく話せていたら、なんで、なんでの繰り返しです。
そんな中でも、自分だけではないと感じることが、できるだけでも 今はありがたいです。 -
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2023年12月11日
まひみ
- メンバー
侑パパさん、毎日お疲れ様です。
子供の前ではなるべく泣きたくないですもんね。
私は、1か月から5か月辺りまで、時々娘の前でも泣いてしまう時がありました。夜眠れ無かったり、変な時間にウトウトして、学童のお迎えに遅刻したり…コロナ禍の中ようやく仕事が見つかり、半年頃から少しずつ、表面上は平気で居られるようになりました。
グリーフケアには、泣く事しっかり悲しむ事も必要だそうです。四十九日や手続も済んで、周りからはそろそろ立ち直って前を向かなきゃね…みたいにもなるし、亡くなった人を忘れられたような。
いわゆる落ち着いた頃が、きっと一番しんどいことと思います。私はコロナ禍の為、二年程経ってから行ったんですが、もしお時間あれば、死別分かち合いの会等に参加してみてください。
あと、LINEオープンチャットに、パートナーと死別のグループがあるので、宜しければ。
ちなみに、私はたぶん少し立ち直ったようで、オプチャは退会しました。どうかご無理なさいませんように。
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2023年12月11日
かず
- メンバー
こんばんは
お気持ちお察しいたします。
私は34年前、大学2年の秋に父を胃癌で亡くしました。闘病時、母親と歳の離れた兄と姉は、父が癌である事を、父本人と私にだけ告知しませんでした。最後の入院に父が家を出る時「ちょっと行ってくる」とだけ話しかけられ、それが父との最後の会話でした。
34年経つ今でも、あの日は忘れられず、お見舞いに一度も行かなかった後悔、病院のベッドの上で何も話せず意識朦朧の中、かけつけた私の目をずっと見ていてくれた父の目。あの時父は何を言いたかったのか。
いつも問題があれば何もいわなくて助けてくれた父だったので、ひとり親で大変な時はいつも父が頭に浮かんでは、涙する時もあります。
きっと、どんなに時間が経過しても、最愛の信頼できる人を思って後悔したり、何も出来なかった無力さ、悲しい思いは、必然的にでてくるものだと思ってます。こんな話しをしても、侑パパさんを元気づけられないかもしれませんが、34年経っても未だに同じ状況の人間がここにもいる事をお伝えします。
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