ひとりに、させない
同じ気持ちの仲間がいれば
いつだって、どこにいたって
私はひとりじゃない、
あなたはひとりじゃない。
「自己責任」に縛られて
わたしたちは時々、
ひとりぼっちになる
“社会の厳しさ”を諭す言葉のひとつに、「どんなふうに生きてもいい。だけど、自己責任だよ」というフレーズがあります。自分で決めたことなら何でも受け入れなければならない…自由に生きるって、そういうこと。そんな、自分にも他人にも自己責任を求めてしまう“厳しい社会”の中で、私たちは本当に“多様性”を乗りこなし、“自分らしく生きる”という決断を下しやすくなれるのでしょうか?
自分らしく生きたいと願うだけなら簡単です。だけど、“一寸先は闇”。良くない未来を少なからず見つめてしまうもの。
もちろん、人生には良いことばかりでなく不運なことや不都合なことも生じるものだと、みんな何となく分かっています。問題は、「自己責任でしょう、と突き放されるかもしれない」という不安。「誰の助けもなく、闇の中から這い上がれるのかな?」と思い描けば、怖くて動けなくなってしまうのも無理はありません。
きっと、私たちが恐れているのは“悪いことが起こる可能性”ではなく、“ひとりぼっちになること”なのです。
思いがけずひとりぼっちになってしまう時、誰も手を差し伸べてくれないかもしれないことなのです。
「頼ってもいいのかな」
と「助けてもいいのかな」
きっとお互い、不安だから…
一方で、“善意のいたわりが裏切られる”ことも珍しくありません。良かれと思って手を差し伸べても、それが拒絶・批判されてしまうことだってあるのです。「助けて」と声をあげる側だけでなく、「どうしたの?」と声をかける側だって怖いのです。
大切なのは、「助けを求めたら、手を差し伸べてくれる誰かがいる」「手を差し伸べたら、救える誰かがいる」と、お互いの心が繋がり信じ合えることではないでしょうか。「だいじょうぶ?」と気遣う人がいるから「助けて」と言えるのです。また、「助けて」と声をあげてくれるから「どうしたの?」と寄り添えるのです。
内に秘めた
哀しみと優しさを束ねて
みんなで新たな居場所
をつくろう
頼っていい、助けていい。そう安⼼できる環境が必要です。
未来に不安を抱くのは、みんな同じ。あなたが孤独を感じる時、同じように不安を抱える仲間が必ずいる。
だからこそ、「みんなで自己責任」を超えて「みんなで助け合おう」という“優しい社会”へと向かわなければなりません。waccaとは、そんなユートピアの実現を目指した“みんなのチャレンジ”なのだと思います。
楽しさだけでなく哀しさを、強さだけでなく弱さを共有できる場所から、しなやかで温かい共感文化を育んでゆく。「何があっても私はひとりじゃない、いつだってあなたはひとりじゃない」と信じ合う気持ちが、みんなの勇気をかき立ててゆく。
誰もが自分らしく生きられる社会は、その向こう側に広がっていくのです。